「食べることは命であり、命をつなぐために食べている」
野菜の美味しさを伝える人がいなくなっている中で、
それを誰かが伝えなくてはいけない!!
私たちは、それを伝える伝道師として、
「生産者の顔の見える」食材を伝えていきます。
ショップモール制作にあたり、こだわり市場の考え方と方向性
「生産者の顔の見える」ショップモールの構築を通して!(動画等で演出可能にする)
・ただ、売った、買っただけの取組ではなく、生産者の商品に対する想い、熱意、情熱を販売に取り入れていかなくてはいけません。
・作るこだわり商品への想い、土壌づくりへの熱意、目的、農・水業に対する考え方、環境を考えた産業。
土地に対する想い、地域に対する想い、将来に対する農業の考え方、人柄、何を目的にしているのか?
未来に対する、夢と希望、その意味を把握することで、おのずと掲載することの意味が違ってきます。
私たちは、それらのことを理解してショップモール、カタログ販売を構築していかなければなりません。
それでなければ、従来の販売だけのショップモール・カタログと何ら変わることはありません。
本気で食べていただけるお客様のことを考えた、安心・安全・おいしい食材に対する考え方を見いだせることはできません。
食育に対する想いから、食べていただける子供から大人、そして、健康を守るお客様に本当の意味での流通改革とは言えません。
『田舎には森羅万象の知識や経験がある』
ことのほか、私たちは自然相手には無力です。雨が降って欲しいと思っても、晴天を求めたいと思っても、暑さも寒さもコントロールできません。
ただじっと自然に委ねるしかありません。
しかし自然に対して受け身であることのなかから、私たちはさまざまなことを学んでいくのです。
それは直接的な農耕のための知識や経験として蓄えられるだけでなく、人間も自然の大きな環境の中で生かされているのだということや、自然に翻弄されることを繰り返していくうちに、いつしか自然のことを学び、知り尽くすようにもなるわけです。
米づくりであれば、人間が経験できるのは自分の寿命をこえる年数の経験を重ねることは出来ません。
仮に一生に70回経験したとしても、70回ともすべて同じ年はありません。
失敗はだんだん少なくなっていくでしょうが、終りというものはないのです。
畑も果樹園でもそうです。
少しずつ栽培技術は向上するでしょうが、なかなか満足のいくものではないと農業専従者はいいます。
農業専従者になればなるほど、そう言うものです。しかし、人は死んでも知識や経験は遺されていきます。
その土地ごとに様々な技法や経験則がいまもあります。
なのに、それを受け継ぐ者がいない現状があります。雲の動きや風の向きで、数時間後の天気を肌で感じることは、その土地に生きる人ならそれほど珍しいことではありません。
草花をみて、これからの訪れる夏の暑さや冬の寒さを感じとることの出来る土地の人がいます。
そうした森羅万象の知識や経験があるところが『田舎』であり、それを感じて生きていくことが「百姓」になることだと言えるかも知れません。
自然のことを学びながら、次第に知り尽くしていくのが『田舎』で暮らすという原点にあるはずです。
森や林、山や川とつきあううちに、私たちは肉体を通して自然と仲よくなることができるのです。
それを求めている人々がいま『田舎暮らし』を意識している人々なのです。